上司泣かせのゆとり世代戦力化作戦を読んで、そのまま採用に使えそうな所だけ抽出してみた
最初に断っておくと、これは採用の本ではない。社内にいるゆとり世代社員(=本書では「ひつじ社員」と呼ばれる)をどのようにして即戦力へと育てていくかに焦点を当てた書籍だ。
ゆとり世代について書かれた書籍は何冊か読んだが、知識がある上で読むと、彼らの教育について示唆が多い。
「上司泣かせのゆとり世代戦力化作戦」概要
ひつじ社員は、過剰なサービスに囲まれて、親や先生に叱られた経験があまりない。
彼らを教育するというのは、つまるところ、人間力の育成になると本書では説く。すなわち、挨拶や掃除のやり方、つまりマナーからきっちり教えるということだ。
そこで信頼関係を築かないと、仕事の指導も始められない。ということになる。
実感としては正しいが、なかなか中小企業が掃除や挨拶からきっちり教えるというのは難しい。掃除のおばちゃんを雇ったほうが直接的なコストも低くなる。
そこで考えたのが、この本を参考に、より教育コストの低い新卒が採用できないかということだった。
- 「上司泣かせのゆとり世代戦力化作戦」概要
- 叱られ慣れている人を採用する
- 感受性ができるだけ高い人を採用する
- まとめ
エログロオンパレードの『ソーセージ・パーティー』何かの拍子で子どもが観たらトラウマになるアニメ映画
『ソーセージ・パーティー』スタッフ
監督:コンラッド・バーノン / グレッグ・ティアナン
キャスト(声の出演):セス・ローゲン / クリステン・ウィグ / ジョナ・ヒル / エドワード・ノートン / サルマ・ハエック
『ソーセージ・パーティー』作品データ
原題 Sausage Party
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
『ソーセージ・パーティ』あらすじ
食材たちは選ばれ、買われることを夢見て毎日陳列されている。きっと外の世界は「楽園」に違いないと。ソーセージのフランクは、パンで恋人のブレンダと結ばれ(合体♥し)ホットドッグになる運命だと信じている。ついに夢が叶う日が! 二人揃ってお客様がカートに! しかしテンションMAXではしゃぐ二人を乗せたカートにアクシデントが発生し、スーパーマーケットに取り残されてしまう。夢に破れ絶望するフランクとブレンダだが、実は命拾いしたことに気付く…なぜなら彼らは“食材”だからだ。「食われてタマるか!」 運命に逆う彼らの闘いがはじまる!
もうこのまんまなんので載せておきますね。
もう少し世界観を細かく言うと、
- 食材達は、スーパーの外を楽園(天国)と思っている。
- スーパーでカートに入れてくれる人たち(人間)を神様だと思っている。
- 賞味期限の切れた食べ物は捨てられる(ちなみにそのスーパーの店主は暗黒神と呼ばれているw)ため、早く選ばれたい(楽園に行きたい)と思っている。
ところが、返品されたハニー・マスタードは楽園の外で何が起こったかを知ってしまう。元々スーパーの外が本当に楽園なのか疑問に思っていたフランクは、ハニー・マスタードの言葉をきっかけに、真実を探るように……。
という感じ。
『ソーセージ・パーティ』を観に行った経緯
知人女性に誘われたからである。
それ以上の事前情報といえば、食べ物が擬人化するというもののみで、↑の予告映像さえ見ていなかった。食べ物の擬人化というと、少し前に似たような仕事をやったので、多少興味はあるといえばあったが、多分言われなければ観に行かなかっただろう。
あとで彼女に聞いたら、彼女自身は「ディズニーがR15を出したからグロイのかと気になって」とホラー映画フリークらしいコメントである。
個人的にはズートピアみたいなもんかな。と気軽に六本木のTOHO CINEMAに出向いたのであった。
『ソーセージ・パーティ』を観に行く時に注意すること
ところで、ソーセージ・パーティって上映している映画館が激少ないんですってね!
それで銀座~六本木あたりでたらたら遊んで上映時間になったら映画館に向かおうと思ってたら、席の埋まりが早い!
結局三時間くらい前に、21時上映のを予約して観ることになりましたが、割と席は埋まってました。東京で観る方は予約をおすすめします。
『ソーセージ・パーティ』を観る前の予想
(C)2016 CTMG, Inc. All Rights Reserved. **ALL IMAGES ARE PROPERTY OF SONY PICTURES ENTERTAINMENT INC. FOR PROMOTIONAL USE ONLY. SALE, DUPLICATION OR TRANSFER OF THIS MATERIAL IS STRICTLY PROHIBITED.
↑視聴時間を調べている間によく観ることになった絵
これを観ながら、
「あーきっと『僕のソーセージを君に(この左のま×こみたいなヤツ)」挟んでほしい』とか言うヤツじゃん!」
「そんなわけないでしょ!」
と言われながら六本木に向かったが……
なんだこれ、、、
予想通りだった。
原案者はサンドイッチでもつくりながら、アホでHな妄想をして一発シャブ決めて企画書でもしたためたのだろうか。これほど作品の内容よりもどのように制作したかの経緯が気になる映画も珍しい。
『ソーセージ・パーティ』を観て
野菜を包丁で切る、ソーセージを茹でる。そんないつもの描写が超絶ホラーに!
これを間違ってレンタルショップで子どもが借りたら完全にトラウマになる。
ちなみに奴らいっちょまえにセ◯クスもするし人(※作中では神と呼ばれている)も殺します。
食品棚に人間の生首をドンッと置いて「とったどー」みたいなゲス顔しているソーセージを観た時には
ディズニーかPIXARか知らないが始まったな……
と思わざるを得なかった。
結構引いてしまう部分も多かったが、隣の外国人がクスクス笑っているのを見ると、これは日本人以外にはウケるのかもしれない。
帰る際にカップルが
「君の名は。」を観た後の落差がヒドイ。
と怒っていたが、アニメ映画というよりもノリはホラー映画に近い。
初期くれよんしんちゃんな感じか……???
ネタバレになるから書きませんが、最後のシュールな落ちは、この1シーンを入れないと世にローンチさせませんよと経営陣からのお達しでもあったのか……。
『ソーセージ・パーティ』を観る際にネックになったこと
元ネタの食べ物がわからない!
これに尽きる。
さすがにパンとソーセージくらいはわかるが、調味料レベルになると、何なのかわからないもの多数。食べ物のパロディなのにこれでは魅力が半減でガッカリ。
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↑この一番右の食べ物の名前が分かるヤツは挙手
こいつの口癖は
「ビラビラをオリーブオイルに浸したい……」
だったが、そもそも一体何の食材なんだお前は!
ベーグルと仲が悪いのも、きっと何かそれっぽいエピソードが米国にあるのだろうがそれもわからない。
つまり『ソーセージ・パーティー』、基本はアメリカ国内で観てねという感じか。そもそも食べ物というテーマで全世界で公開というのは確かに難しいのかもしれない。
総評
正直、それほど面白くない。
つまらないとまでは言わないが、この内容をアニメで見たいかというと……?
B級映画として観るならありだろう。
っていうか、B級映画としてみんな観てるのかな!?
最初のディズニーらしいミュージカルなんかも一聴の価値ありだ。
しかし本作で目を見張るべきは、R15というものの魅力ではないだろうか。
20億円にも満たない予算で、1億3500万ドル(アメリカでは9700万ドル)の興行収益を上げています。
映画「ソーセージパーティー・Sausage Party」は子供が見られないR指定のアニメ - さて、この映画いかがなものかと?
ここにあるように、それほど売れないのでは、という予想に反しヒットを出していますが、正直、R15、15歳未満は禁止だよ、と言われると人は観たくなってしまうんだろうな。
↑部屋で映画を観るときにはこれとビールが最高ですよ!
フリーランスがイラスト制作を工数計算するのはリスキーですよ?
1万RTもされて見かけたのがこちら↓
【誰も教えてくれないイラストレーターの価格交渉の仕方】あくまで初歩的なモノですが、あまりにも安い価格で引き受けてしまうと生活が破綻しますので、そんなときは工数/日を計算してみると役にたちます。¥だと生々しすぎるのでペソにしました。 pic.twitter.com/P4ISdsZ0Dg
— さいとう なおき (@_NaokiSaito) 2016年8月23日
よくある単価交渉系のツイートですね。
これをパッと見た時、なんかおかしくね!? って凝視してしまった。
誰が工数計算由来の見積もりを出すかによって意味合いが異なる
だって、雲の上のイラストレーターを別にすると、市場にいるイラストレーターって、以下の3種類じゃないでしょうか。
- 駆け出しイラストレーター←仕事を広げていきたい。学生あるいは兼業あるいは実家暮らし
- 熟練グラフィッカー←絵柄がある程度操縦できる、企業にとって使い勝手のいい相手。意外と単価が高いが仕事や納期はきっちり
- 名前の通ったイラストレーター←そこまで新規の仕事は必要ない。ファン層がいて名前が出ればある程度の注目が期待できる
いずれがするかによっても違うと思いますが、経験上、熟練グラフィッカーとそこそこのイラストレーターは自分なりの単価があることがほとんど。
もちろん、その単価っていうのは、そこにかかる時間から算出しているのだろう。
だから、結局工数計算なんじゃん!
って言われるかもしれないけど、そこに違和感が……。
結論から言っちゃうと、
下手な人ほど高報酬な糞システムじゃん
って思っちゃうからだろうな。
未熟なほど高報酬になるのが人日計算
建設業界とかなら、人日計算って妥当だと思うんです。
リフォームで便利屋やリフォーム業者に見積もりしてもらったことがあります。
どの業者の見積書も、ほとんど値段は変わりませんでした。
個人差での仕事の速度やクオリティにそれほど差がないためだと認識しています。そもそもなぜ標準化できてるかっていうと、歴史が古く、これにはこれくらい時間がかかるのが一人前だよね、っていうレギュレーションがあるから。(推測に過ぎませんが)
が、イラストレーターに関しては?
プロの作業工数とアマチュアの作業工数って、ものすごい開きがあります。それは、「リフォーム業者」と「日曜大工が趣味レベルの人」では作業時間に開きが出るのと同じです。(もちろん上手な人はいくらでもいると思いますが)
イラストに限らず、クリエイティブの制作は、熟練していれば、しているほど作業時間は短くなります。
絵を描いた人ならわかると思いますが、何度も下書きや構図を悩んだり、ペン入れ(クリンナップ)をやりなおしたりして時間をとった経験は多いのではないでしょうか。
名指しされるレベルのプロは、構図も最初から完璧だし、線を直すとかも基本起こらない。本人もそれがわかってるからラフに何案も出しませんよ。でも、丸チョンレベルでも、アマチュアとプロではクオリティが全然違います。
工数計算していたら、駆け出しの報酬は大勝利確実ですw
プロフェッショナルとは何か
そんな彼らも、膨大な仕事を大量にこなして、時間の見積もりができるようになり、修正がすまなくてすむような見切りや判断能力を身につけてきたんです。
日本は同人活動という文化もあり、プロとアマチュアの敷居があいまいになりがち。しかし、ある時はアーティストとして振る舞い、ある時は工数計算ですっていうのは、スジが通ってない。
工数計算で見積もりを出すなら、やっぱりプロフェッショナルなので、その人日計算の根拠が欲しいし、プロフェッショナルなりの責任が求められるでしょう。
では、会社勤務でもないセミプロのイラストレーターはどうすればいいのか?
というと、
最初は納得いかない単価かもしれないけれど、請けて請けて請けまくるしかないんじゃないの?
って思うわけで……。
数回続けて発注が来れば、単価交渉はできるわけだし、それに、やっぱり上手に、早くなるのは描くしかないですからね。それも、自分の好きな絵を描く「お絵かき」ではなく、仕事として発注されたもののほうがタメになります。
工数計算を鵜呑みにして見積もりを出すよりも、予算を聞いてそれに見合う時間、クオリティにするほうが現実的ではないでしょうか。
深夜残業に違和感を感じない上司と違和感を感じない部下がエンゲージした時、問題が深刻化する
Facebookでいいねって言ってたら、ある人に「これをやっていたら日本で求められているクオリティにはならない」と言われた。
でも私はそうは思わないんだよ。
もちろんこのはっしーさんはいわば日本を捨てたとも言える人で。ニュージーランドに渡って後ろ足で日本の社畜wに砂かけてるとも取れる。私もこのコラム全てにいいねって思ってるわけではないです。
では私がいいなと思ってるのは何なのか? と言いますと……。
「その日本の会社、マネジメントがひどいわね。いくら長時間仕事をしたところで、仕事が終わるなんてありえないのに」
この言葉。
上司が、長時間仕事をする現実に違和感を感じていること!
ここで誤解しないでいただきたいのは、長時間の仕事を否定しているわけではないということです。常時長時間の労働が生じることを否定しているんです。
上司が「それっておかしいんじゃないの?」って違和感を感じているだけで、社内の環境は改善する可能性ありますよ! (ただ改善すればOKなわけではないのが人間の怖いところですが。それは後述します)
というのも、ちょうど数年前の自社がそんな感じだったからです……。
所属している部署は割合早く帰る部署でした。上司がシングルマザーだったので、仕事は定時に終わらせる、そもそも早く帰る、という意識が強い部署でした。
※ちなみに彼女は、新人にはストップウォッチを使って自分の業務にかかる時間、目指す時間を教え込んでいる。
一方、ブラック会社を地でいくチームがいた
が、ある日気付いたのです。グラフィックチームはリーダー自らが「残業ばっかりなのに残業代も出ない、ブラック会社だ!」と言っていることに……。
はい、ITあるある、ゲーム会社あるあるです。
そこで、社内でも「さすがにチーム間で格差が出るのは問題なのではないか」と声が挙がりました。チームはほとんど女性で構成されているのに、特に長時間残業して夜道で何かあったらどうするんだ、という心配もありました。
しかし、「早く仕事をして、早く帰れ」と言っても、帰りません。
だって仕事が終わらないんですもん。
ここで会社が動き出しました。
リーダーと幾度も面談を行いました。業務内容が他チームと異なっていたため、ブラックボックス化していたチームでしたが、以下のようなことがわかりました。
- グラフィックチームは売上は大きいが、支出も大きい
- 常時3~5時間程度残業している
- リーダー以下、チームメンバー全て残業している
- 作業内容の簡略化はできる。それをやれば早くなる。が、気分的に(性格的に)したくない(できない)とリーダーは主張している。
- リーダーは工数管理ができない、不得意
- リーダーの仕事が遅いためそのペースでチームメンバーが仕事をしている
- リーダーは教育は上手でチームメンバーの成果物のクオリティを上げるのには長けている
そもそもリーダーに「早く仕事を終わらせよう」とか、自分の仕事ぶりは本当に正しいのだろうかという違和感がなかったんですね。
結局、改善の最中にリーダーは退職しました。彼としては、
「自分は会社にすごく貢献していた。頑張っていた。それなのに会社にそれを認めてもらっていない」
確かに頑張っていたんでしょうが、最後まで、終電ぎりぎりまで社内に残って仕事をしていることが悪だと理解できなかった。納得もしなかった。彼にとっては、自分の満足するクオリティまで仕事をすることのほうがよほど重要だった。
そんなチームで定時に帰れる人がいるわけない。つまり、人がブラックだったわけです。
改善後
リーダー不在になり、工数管理は別チームのリーダーが行うことになりました。ただし、彼はグラフィックについては素人です。
そこで、〆切をさだめ、
「この期限までにこれらを上げてほしい。外注できる予算はこれくらいだから、◯◯だったら◯枚前後、◯◯だったら◯枚前後外注できるだろう。時間がかかると予想できるものから外注しよう。1枚1枚にかかる時間を出して、外注するものと、外注先をピックアップしてほしい」
と、チーム内のスタープレイヤーKさんにヒアリングしたのです。
すると、彼女は他のメンバーにも聞きながら、これにどのくらいかかる、どのくらいかかる、と計算を始めました。
その結果、最終的に休日出勤が発生し、そこには手当が出たものの、サービス残業はなくなり、外注費も大幅に減りました。人がひとり減ったにも関わらず、休日出勤(振替)1日×2人ですんだんです。
その後のプロジェクトも、最初に期間と〆切を決めました。
Kさんはその時間内で終わるような仕様に設定をし、それを遂行しました。
問題点と課題
Kさんは仕事が早かった。
仕事が早いとは何なのか?
それは「見切り」ではないか。
自チームの上司もそうですが、やたら判断が速い。
自分自身もそうですが、チーム内の誰がどのような業務にどのくらい時間がかかって、何が不得意であるか。自分は何をもってカバーするかを瞬時に判断しているところがあります。
常人がどうしようか……と考えるところを、まるで考えていないかのようにやる。
新たにKさんに率いられたチームは、彼女の能力に引き上げられる形で、飛躍的に生産性が上がりました。
サービス残業は基本的になくなりました。
残業する際は社内で申請をするというシステムにもなりました。
数ヶ月でできるようになったのは、工数管理が苦手なグラフィックチームには工数管理じたいはさせなかったことと、彼女の能力があってこそだったと思います。
が……そこで問題は起こった。
就業環境の改善が必ずしもいいとは限らないよ
就業環境は改善したかに見えた。
グラフィックチームの行く末を案じていた他チームもほっと胸を撫で下ろした。
リーダーと面談を開始した時期に他のメンバーとも会社は面談を始めており、リーダーが退職したあとも続けていたのですが、不満が続いた。
「残業時申請しなくてはいけないのがストレス」
「急がなくてはいけないので仕事が突然きつく感じ始めた」
「自分で時間を決めたので、遅れた言い訳ができなくなった」←イミフ
他の社員が帰ったら仕事をしながらデュアルモニターでビデオを見ていた者もいた。
要するに、彼らは、残業代が出なくてもいいから、ダラダラと仕事をしていたかったのだ!
確かに愚痴で「ブラック会社だ」とは言うものの、彼らは改善など望んでいなかった。ブラック会社でむしろよかったのだ。
真夜中に黙々とペンタブレットを動かすのが哀れに見えていたが、彼らはそれが幸せだったのである……。
まとめ
深夜残業(もちろん残業代など出るわけがない)は、特にゲーム会社ではありがちだが、それに違和感を感じない上司と違和感を感じない部下が雁首並べて仕事をしている。
彼らは自分の望むクオリティ及びこだわりに際限なく時間をつぎ込むことに幸福を覚える。
仕事を頑張っている自分が好きなので、時短のために方策を立てることをよしとはしない。むしろ彼らからするとそれらは邪道なのだ。丁寧に仕事をやることこそが仕事だと思っている。が、それらが本当に必要な努力なのか。それで売上がどれほど変わるのか。たいてい、そういった調査はなされない。そうやって、間違ったベクトルの努力が重ねられていく。
外野が何を言ったところで彼らの琴線に触れるわけがないのだ。
でももし、そうではないのであれば、改善の余地がある。
もちろん、そうするためには誰もが血を流さなければいけない。でもそこまでの覚悟を持ちさえすれば、人も会社も変わるだろう。
【祭】三鷹で阿波踊りを見た
阿波踊りを初めて見た。
数年前、高円寺と阿佐ヶ谷に住んでいた。高円寺の阿波踊りは割と有名だが、実際に目にしたのは初めてだった。
阿波おどり(あわおどり、Awa Odori)は徳島県(旧・阿波国)を発祥とする盆踊りである。日本三大盆踊りであり、江戸開府より約400年の歴史がある日本の伝統芸能のひとつである。夏季になると徳島県内各地の市町村で開催され、なかでも徳島市阿波おどりは踊り子や観客数において国内最大規模である。
とWikipediaにある。
三鷹駅は、中央線(正しくは中央本線)の駅の一つ。中央特快・青梅特快も停まる。新宿駅まで約20分と、利便性がよく、住み心地も悪くないところだ。北口が武蔵野市、南口が三鷹市に隣接しており、同じ駅でも北口と南口の雰囲気がガラリと変わる。
少し前から南口のメインストリート?沿いの商店街では、ピンク色をしたぼんぼりつきの街灯が目立ち始めていて、「三鷹も阿波踊りするんだ」と思っていたが、運良く終了の数時間前に居合わせることができた。
盆踊りというとひなびた田舎でまばらな人達が参加するイメージが強いが、結構人がいる!↓
体にドンドン響く太鼓、それから笛の音。今さらだけど、パレードになっているっていうのがいい。次はどんな踊りかな、着物かな、と楽しみになる。
先頭を切る男性は長い提灯を掲げる。郵便局や市役所。シルバー人材センター。地域活性化、なんて言葉が頭に浮かぶ。着物もカラフルで、それぞれのチームで個性がある。
たいてい提灯を持つ男性の後ろに続く、半円型の笠を被る着物の女性は、やはり踊りが上手でないとなれないんだろうか。下駄も前に傾斜した特別な形をしている。顔がよく見えないのが、妄想をかきたてられる。昔はこういった阿波踊りを踊る女性を見ながらあの娘かわいいね、なんて品定めしていたんじゃないだろうか……。
鐘を鳴らしている男性はリーダー格なんだろうか。
いずれも楽しそうだ。基本的にはこの阿波踊りを見るものなので、思った程混雑していないし、出店もそこそこ出ていて楽しめる。一緒に阿波踊りを見たはっぴーあわーは、露天で生ビールを買って終始ご機嫌だった。
しかしこうやって阿波踊りを見て、というか祭り囃子を聞いて思い出すのは、私の故郷、佐賀の「浮立(ふりゅう)」である。浮立は県内でも地域によっていろいろな作法というか様式があるようだ。
故郷の近所では、勝手に家々を周り、軒先で躍るものであった。
「こども会」なる近所の子どもが任意加入しなければならない町内会の子供版が存在し、秋近くになると強制的に練習をさせられる。期日になると家々を回って集団で躍るのだが、その際に家主はお菓子やジュース、幾ばくかの金銭を渡さなければいけないという、日本版ハロウィンというか、そもそも都会で成立させるには難しい感じの行事だ。
このことを話すと、はっぴーあわーは、呉で行われている祭り「やぶ」を教えてくれた。
↑記事ではこんな感じですが、実際現地では暴走族が集結し、大げんかを始めるという鬼ではなく暴走族が危険な祭りらしい。そのため警察官が総動員され、午後8時には帰宅しろと言われるそう。広島ならではのデンジャラスな祭りといえそう……。
地域によって日本の祭りはいろいろだ。
福岡でも「山笠」のような参加型の祭りはあるが、男性だけ。放生会になると商業主義が過ぎるという見方もあるかもしれない。
阿波踊りは、ちょっとハレの日を味わうにはいいお祭りですねー。
シン・ゴジラはシミュレーション映画だった
シン・ゴジラを見に行った。
立川の極上爆音上映だ。爆弾投下も、ゴジラがビルを壊す時も、とにかく体にずしんずしんと響いてくる。
批評も賛同もいろいろある本作だが、普通に面白かった。起承転結でもシド・フィールドの提唱する三幕構成になぞらえてもいいが、とにかくストーリーの構成は完璧に近く、盛り上がるべきところで否応なく盛り上がる。台詞運びも緻密に作られていた。
確かに日本を襲う"モノ"がゴジラでなくてはいけない理由は薄いし、総理の決断の速さは異様だ。が、そこはフィクションなのだから、そこにどうのこうのいうのは野暮。
パンデミック小説、というジャンルがあるかどうかはともかく、私はこのジャンルをそう呼んでいる。ある病原体がある街で発生した。という小説家が提案するシミュレーションである。
最近読んだ中で面白かったのは「夏の災厄」であり、日本脳炎とおぼしき感染症が埼玉県の田舎を席巻する様子が描かれる。たいていこういったフィクションの主人公は事件から近しい立場にいることが多いが、主人公は保健所の人間であり、お役所的なたらいまわしにより、感染症の対策は遅れたりなかったことにされようとしたりする。かなり分厚く、冒頭は退屈なため、最初は失敗したかな、と思っていたのだが、ページ数が1/5を超える頃には夢中になって貪り読んだ。
最近、仕事でパンデミック小説を頻繁に読みふけっているのだが、その頭で見ると、シン・ゴジラは、「シミュレーション映画」なのだ。
善意の政治家がいて、そこに襲いかかってくるゴジラという災厄がいる。日本は、首都東京はどうなるのか。庵野監督のシミュレーション映像なのである。
ゆえに、実在の武器や戦闘機が使われ、テロップも入る。人間へのフォーカスが小さいのは当たり前で、これはゴジラifなのだ。人間は理想化されすぎているかもしれない。しかしここまでノンフィクションにしたら、多分東京は壊滅しているエンドしかない。そこまで日本がダメで何も教訓にしなかった国だと思うのは悲しい。庵野監督の愛があり、理想があふれていた。
ちなみに、実際、他にも、夏の災厄が似ていると思われている方もいた。
パンデミック小説というと、ゾンビやホラー映画とも近似したジャンルとなり、ただ派手な演出や人間模様が繰り広げられる事も多いのだが、シミュレーションifはゲームでも小説でも面白いので今後こういったものも増えるのは大歓迎だ。
個人的には初期ゴジラの話も少し出たのが、嬉しかった。他人と喋っている時に思わず知人が知り合い同士だった、というような感覚だ。
シン・ゴジラを見る前に、一応、と思ってhuluで「ゴジラ」を見た。
私がリアルタイムで見たのは「ゴジラvsスペースゴジラ」だっただろうか。実はよく覚えていない。ただ、隣で座っていた祖父が「福岡タワーですばい」と興奮していた。自分の街が破壊されているのをよくもそんなに喜んでいられるな、と小学生の私は冷ややかに思った。映画の内容は覚えていないくせに、その気持ちは鮮やかに覚えているのだ。
Huluで初めて観たゴジラは、白黒で、正直街を破壊して回っているだけ。観ていると眠気が襲ってきた。野山に登ってみんなが「ゴジラだゴジラだ」と騒いでいるところなんか、昔ののんきさに見えた。
でも、これがシリーズを重ねてシミュレーション映画になった。これからもゴジラは、その名前だけで姿を変え続ける映画になるのかもしれない。
でも、それで新しいファンが増え、ゴジラを新たに知る人だって出るはずだ。
とにもかくにも、シン・ゴジラはおすすめです。
海外の映画・ドラマが月額933円(税抜)で今すぐ見放題!今すぐ無料視聴!
↑初代ゴジラやシリーズタイトルはHuluで見放題です。(2016/08/18現在)
福岡の会社が東京へ進出した話
提供:福岡市
所属する会社が、昨年の冬、東京に移転した。年が明けて、3回目の帰省になるだろうか。帰省といっても、仕事がてら。実家は佐賀で、やや不便なアクセスにあるから、そこには帰らずホテルに宿泊してそのまま福岡空港へ舞い戻る事も多い。
もともと取引先の90%以上は東京。ざっくりくくるとITとかゲーム関係と自称できるとはいえ、同じ職種だと胸を張って言えるような仲間に福岡で出会ったことはない。
そんな状況だから、いつか東京へ、というのは自明だった。今回の帰省で、似たような悩みを持つメディアディレクターのMさんに出会い、東京へ移転することについて情報交換した。少人数だからこそ、会社ごと、仲間ごと移転することができたのだが、地方で同様の悩みを抱えている方は参考にしてほしいと思う。
仕事だけで考えたら東京に行くしかない
今まで、東京へ行くことを頑なに拒んでいた。
それは東京が嫌いだからとか、そういう安直な理由ではなく、単に自分が東京という大きなコンテンツに縛られたくなかったからだ。
できるだけ自由でいたかった。
PCとWIFIさえあればどこでも仕事ができることを証明してみせる。
そう思っていた時期もあった。
しかし、それはいっときのことだった。
多分、自分がフリーランスで、なんとなく人道的な生活レベルを保っていられたらいいな、と思えるような性格だったら、それはうまくいったと思う。
実際には自分はプロデューサー職もやっていたし、ディレクターを兼任しなければいけないこともままあった。それらは当初の目論見ではオンラインで完結するはずだったが、人はチャットツールやメールではなかなか自分の思い通りに動かないのを痛感しなければならなかった。
そう、人。売上を上げるにも、何かを成し遂げるにも人が重要だった。
そう考えると、東京はなんと魅力的な土地だろうか。
東京は、やっぱり人は仕事で生きている、燃焼してるぞ、という感じがする。ちょっとした飲みの席で仕事が決まったりすることなんかを伝え聞く。疎外感があった。ちょっとしたセミナーやイベントも、おいそれとは参加できない歯がゆさもあった。あの輪の中に入りたいと思った。何より福岡にはライバルがいなかった。あの人のようになりたいとか、ああいうものをつくってみたいとか思う相手は、福岡にはおらず、後輩たちは、就業して1年もたてば、まるで10年選手のようないっぱしの口を聞くようになる。周囲に比べる相手も、付き合いのある相手もいないのだ。まさに井の中の蛙だった。このままいけば、何かが後退していくのではないか。そんな焦りが生まれたところで、とうとう東京へ行く、と決心した。
迷いがなかったわけじゃない。私は一度東京に暮らし、東京に挫折していた。
福岡は、ライフスタイルが全てであると言っても過言では無い。平尾に行けば、新婚夫婦でもわりといいマンションに住める。車も持っている家庭が多いだろう。子どもの教育にも悪くないように見える。
アクセスが良い。都会機能は天神にギュッと凝縮しており、だいたいの用途はここで事足りる。通勤ラッシュは存在するが、山の手線のように混むことはない。それほど文句を言わなければ、天神から歩いて10分くらいのひとり暮らしのマンションが6、7万で借りられる。
ご飯はビックリするくらいおいしい。福岡にミシュランは必要ないし、存在を知らない人もいるだろう。チェーン店に入るのは金が無い大学生くらいのもので、そのへんの店にひょいと入っても、店主のこだわった食材が出て来る。
帰省の際、友人と中州のであい橋近くにある「デフィ・ジョルジュマルソー」でフレンチを食べたが、5,000円でお腹いっぱいフルコースを食べた。品のいい窓枠にはライトアップされた木の葉の影が落ちていて、グルメの友人らしい希望でこの店に来たのだが、これは明らかにデートで使われる場所であった。
これは、フォアグラの乗った佐賀牛のハンバーグ(その下がナス)。ハンバーグを好んで食べようと思う事はないが、これは柔らかくて本当においしかった。創作料理がメインのお店らしく、このお皿の左下にあるのは生の胡椒。初めて食べたが、ややゆず胡椒に似た風味。
であい橋を渡って、キャナルシティのほうへ。川の眺めはどこか道頓堀と似ている。3時までやっているカフェバーに入って、長く話した。終電という概念はありはするが、ひとり暮らしをしている皆はなんとなく、タクシー圏内に住んでいることが多い。東京に来ると、10時とかそれくらいに慌ただしく帰らなければいけない。
こういう人生の豊かさっていうのを東京では感じない。行くところに行けば満喫している人はいるんだろうが、仲間みんなでそうできるかというと、現実的ではないと感じた。
仕事と娯楽は東京しかない。それは誰もが分かっている
東京に来てから、人に恵まれた。
仲間で引っ越したから寂しさを感じることもない。
仕事の引き合いも増えたし、福岡でできなかった協業もできた。
基本、仕事人間なので、全く仕事の接点がないと話題に事欠くが、そうではない相手が近くに住んでいて、打ち合わせできたりするっていうのは素直に喜びだった。
仕事面は充実したが、生活レベルは想定以上に下がった。
チェーン店じたいを知らないというのもあるが、入る店入る店、チェーン店なのである。トイレに入って、「トイレの中まで大変失礼いたします。……」という貼り紙を見る度にここもかとがっくりくる。
一緒に福岡から来た女の子は、昼ご飯にコンビニに行って、夜ご飯は青汁飲んで寝てると言う。そういえばコンビニのおにぎりやお弁当も福岡では滅多に利用しなかったが、確かにへたな居酒屋より余程おいしいなと東京へ来て思った。
今住んでいるのは東京でも西にある、やや田舎と位置づけられる場所である。これが渋谷や新宿近辺を選んでいればどうなったんだろうと思うことはある。もっと人と会って、娯楽も多くなっただろう。仕事も多くなったのだろうか。そしてより疲弊するんだろうか、と。
今はいい。挑戦したいという思いがある。しかし、自分にしても、仲間にしてもこの先ずっと東京で働き続けるのは難しいだろう。
そのための受け皿を福岡に持ち続けるべきなのではないだろうか。
移転に関する大半の悩みは採用であることが多い
話はさかのぼるが、大半の企業が東京進出を検討するのは、採用であることが多いように思う。
まず、中途採用をしたい場合、ほとんど採用できる人がいない。
厳密に言うと、採用できるレベルの人がいない、という意味だ。
東京から人が出て来ないのだ。
福岡では、現在福岡市以外に住んでいる人で、採用された人に引っ越し費のような形で40万与える方策を2015年立てており、私たちにもオファーが数件あったが、厳しい言い方をすれば、そのリストには、東京の熾烈な競争に競り負けたというようなレベルの人しかいなかった。東京でそこそこのキャリアを積めば、福岡で仕事をするというのは都落ちに他ならないのだろう。
東京に拠点があれば、そこを入り口にすることはできる。実際、ある福岡の企業は私が知っている限り、ほとんど東京支社からの異動だ。ただし、彼らは皆九州人なので、在職しながらのUターンともいえるかもしれない。
これからは単に移転、引っ越しだけではなく、ライフレベルを向上させる受け皿としての地方都市が視野にあってもいいのではないか。
仕事や人を東京で取り、中堅やややルーチン的な開発を福岡で持つというのは理想だ。
福岡人は、仕事はそこそこだ。趣味や生活レベルを向上させよう! みたいな気概はあってもガツガツ仕事はしない。というか、ガツガツ仕事をするのは、何となくカッコ悪いよね、クールじゃないよね、そんな空気さえある。
それが物足りなくあったが、それで皆が東京でするように仕事に精を出し始めて、チェーン店が立ち並ぶ福岡になってしまったら、味気ない。東京に来てから、福岡の良さを思ったけれど、結局、ないものねだりをしているのだろう。両立しえない領域なのだ。
で、福岡では、今までなかった我々の業界が若干盛り上がりの兆しを見せている。なぜこの時期にと思ったりもするけれど、また近いうちに仕事の打ち合わせでも来て、この動きが本流になるのか確かめたい。